広報よこはま3ページ 2018(平成30)年12月号 人権特集 12月4日〜10日は人権週間です 互いに尊重し合い、ともに生きる社会をめざして  法務省が毎年実施する「全国中学生人権作文コンテスト」の横浜市大会で、今年度は56,000作品を超える人権作文の応募がありました。  その中から、「横浜市長賞」を受賞した作品を紹介します。 平成30年度人権啓発ポスターの写真(デザイン:横浜デジタルアーツ専門学校 笹原(ささはら)りなさん) 最優秀賞「横浜市長賞」 奇跡は起こるものではなく、起こすもの 横浜市立中川西中学校一年 白川 深礼(しらかわ みのり)さん  私、本当は生まれてなかったかもしれない。ついこの間、突然母から私が生まれた時の話を聞かされた。あまりの衝撃的な話にしばらく言葉も出なかった。こんなに元気で、こんなに幸せなのに、この世に生まれてなかったかもしれないなんて。そんな事今まで一度も考えたことなかった私は、名前の由来も同時に聞くこととなった。  母の妊娠がわかった直後、私はまだお腹の中で二ヶ月の頃の出来事だった。母は出先で重い病気にかかってしまい、救急病院に運ばれて、すぐ入院するよう勧められた。その時、病院の先生はこう言った。 「お腹のお子さんはあきらめてください。今はお母さんの病気を治すのが先です。元気になったら、またお子さんを望めますから。」  最初は何を言われているのかわからなかった。二ヶ月といえば胎児の脳や神経、一番大切な部分が作られる重要な時期。そんな時期に強い薬品を使用すれば、元気に生まれてくることができないかもしれない。もし、生まれたとしても何らかの障害を持って生まれる可能性がとても高い。だからあきらめなさいというのだ。あきらめるということは、胎児の死を意味すること。でも、治療をしなければ母の体も危ない。生まれるのは八ヶ月後、母体がそれまで元気でいないとお腹の中で赤ちゃんを育てることもできないのだ。  あきらめる決断なんてできなかった母は病院を抜け出した。病気のつらい体で、自分と赤ちゃんの両方を助けてくれる医師がどこかにいないか、他の病院を探し回った。しかし、答えはどこの病院も同じだった。あきらめかけたその時、 「一緒に頑張ってみましょうか。胎児になるべく影響のない薬を使って、治療には時間はかかるかも知れませんが、妊娠を継続していきましょう。」 と、言ってくれる医師が見つかったのだ。その先生は医学書や論文、薬の載った本をひっぱり出してきて、母に病気について詳しく説明してくれた。神様は本当にいるんだな、と初めて思った瞬間だった。  ひと安心した母に新たな問題が起こった。それは家族からの思いがけない大反対だった。母の命の方が大切だからお腹の赤ちゃんはあきらめて、病気の治療に専念して欲しいというものだった。でも、母にはわかっていた。命の問題だけではない。もし、障害を持った子が生まれてきたら、育てるのが大変ではないかということなのだ。母は家族に言った。 「命にどちらが大切とかあるわけないわ。私の体もあきらめていない。この子と一緒に生きたいの。ただ、それだけ。そこに障害があるかないかなんて、関係ないのよ。」  母は初めから、私を産んで育てることしか考えていなかった。家族の反対を押しきってまで産んでくれた母にも、不安がなかった訳ではない。一度、流産を経験しているのもあり、やっと宿った小さな命を簡単にあきらめきれなかったのだ。今回はきっと大丈夫、とても元気な赤ちゃんが生まれてきてくれる、そんな不思議な自信があったらしい。今思えば母親としての直感だったのかもしれない。 「あなたがお腹から合図をくれたの。ママ、私は大丈夫だから産んでよ。きっと元気に生まれてきて幸せになるわ、ってね。」 母はそう話し終えると、笑った。  あの時、母があきらめていたら私はこの世の中に生まれていない。助けてくれる病院が見つかってなくても、生まれていない。母が障害に偏見を持っていたとしたら、それでもやっぱり私は生まれていないのだ。  母がつけてくれた名前の通り、私の誕生に力を貸してくださった方々への深いお礼の気持ち、感謝する気持ちを忘れず、奇跡を起こしてくれた母にも心から感謝したい。この奇跡から生まれた命をいつまでも大切にして、そしていつか、障害を持つ人も持たない人も関係なく生きていける世の中にしたいと思う。まずは、自分自身の考え方や障害を持つ人への接し方から変えよう。今の私では大人になって結婚しても、母のような決断はできない。障害があるということは特別なことではなく、生まれもっての人間の一つの個性なのだと理解すれば、きっと世の中は変わる。  どんな命もたくさんの人の愛情や思いを受けて生まれてきているのだ。そんな大切な命を差別なんて絶対にしてはいけない。この世に生まれて来ていることこそ、人が起こした最大の奇跡なのだから。